2010年7月22日木曜日

   家庭内暴力もやんだ


 家族とこの夫婦との交際いは深まっていき、伊勢との間を往復しながら修行の課程は進行していった。修行といっても個人の能力を引き出すものではなく、神祭り仏祭りを正すということで、先祖霊の意志を家庭生活の中に導き入れることだった。個人の霊能力にはまったく関係なく、ただ毎日出される先祖霊の指示を実行していれば良かった。それにはむしろ両手にはさむ〈法〉と呼ばれる不可思議なる霊符の力が絶大であるらしい。これをはさむことによってその人の背後霊、あるいはその家でいちばん偉い先祖霊  大祖先と呼んでいる  が降りてくるのである。この先祖霊たちは霊界にいるわけだから、つまり霊界と交信できるということになる。この法体(法)をはさんでいれば、その人に関係のない低級霊、いわゆる幽霊のたぐいは絶対に入り込むことがない。それにくらべ一般の霊能者が、自分の身体に不浄霊を導き入れているのを見ると、薄ら寒いものを感じる。
 私の母が自動書記を行えるようになるまでそう長くはかからなかった。兄もすぐに使えるようになった。ところが父と私はサッパリ動かなかった。基本的にこれはだれでも動くものであるが、動く動かないが出てくるということは、けっきょく“伝えるもの”と“実行するもの”とに別れるということなのだろう。夫婦の場合、決まってどちらか一方が動き片方はまったく動かない。“伝えるもの”と“聞き役”という役目のちがいなのである。
 かくてわが家の生活は一変し、母の修行(自動書記)によって毎日の生活の何から何まで、先祖霊の指示が出されるようになった。
そもそもこの自動書記というのも不思議である。母は山の中の不動尊で行(お経を唱えて精進すること)をしていて、〈法〉をはさんでもいないのに先祖霊が降りてきて自動書記をしたのである。そのご母は片目に腫れ物が出来、片目の不動尊とおなじになってしまった。あとで夫妻に聞いてみると、動き始めたらすぐに両手を離せといわれた。如何なる霊が寄ってくるかわからないからで、先祖霊との交信には〈法〉をはさむのが絶対条件だったのである。
 不信心で有名だった母が、今や〈イタコ〉のような真似をしている。私は内心驚いたのだが、まったくの素人にもこんな真似が出来るのは事実だった。だがここで不審に思ったのは、何もはさまないで霊と交信が出来るのなら、神霊に関わるある特殊な場所で手を合わせれば霊動があるはずではないか。何も夫婦に教えられなくたって、もっと以前から出来たはずだ。ところが以前はまったくこのようなこととは無縁だった。これはあの夫婦が来たからこそ、霊界が動き始めたと考えざるをえない。子供のゲームではないが、〈法〉というアイテムを得たことによって、すべての霊界システムが作動し、そして私の“異次元転移装置”も起動したのだ。
 私たちを乗せた〈法〉という名の豪華客船は、陸地を離れ外洋を目指して出航していった。しかも私には“異次元飛行船”という、あの夫婦さえ理解できない独自の翼さえあるのだ。
 

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